「横山のお不動様」の名で今も広く信仰を集めるこの尊像は、通常見られる仏像では最大の基準(丈六=一丈六尺。約4.8メートル。坐像はその半分)を用いた巨像であるばかりでなく、製作期間が平安時代までさかのぼるという、わが国屈指の不動明王像の雄作です。

仏敵を打ち砕くべく忿怒の形相を示すものの、全体に温雅な気分の漂う作風は平安時代後期の特色をよくあらわしており、この尊像が保元年中(1156〜1159)に近くの浜辺に流れ着いたという寺伝を制作時期のひとつの目安にすることは可能です。

東北地方の仏像に多いカツラを用材とすることから、この地方で活躍した仏師の製作になるものとみられます。これほどの巨像を破綻なくまとめ上げ、さらには手先に至るまで内部を空洞にして荷重の軽減を図るなどその技量は賞されましょう。

この地域は当時「本良庄」と呼ばれ、平泉(今の岩手県西磐井郡平泉町)にあった奥州藤原氏の勢力が及んでいたと考えられています。その尊像の製作にも奥州藤原氏がなんらかのかたちで関与した可能性は考えられます。この地域の歴史を語る上でも貴重な存在です。

また、修理による改変が少なく当初のお姿をよくとどめ、手先、宝剣までがほぼ当時のままですことは大変喜ばしいものです。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の震動により、構造的に弱くなっていた接合部などが破損したため、京都で本格的な修理を受け、2014年の春、修理を終えて寺に戻ってきました。

お声がけいただければ不動堂の中で不動明王像を奉拝できます。※写真撮影についてはご遠慮ください。

  • 寄せ木造り(カツラ材)、高さ約4.4m、像高275㎝、重量約330㎏
  • 平成9年6月30日国指定 重要文化財

不動堂

旧不動堂は大正15年(1926年)に焼失、現在の堂宇は昭和3年(1928年)5月7日に完成し現在に至っています。建築流儀は本林流宝塔造りと称される。 気仙大工の名工花輪喜久蔵の作であり、彫刻は石井寅正の作です。奥行きのある寅正の彫刻は龍、獅子、鶴亀、干支などが見事。

不動堂正面の「不動尊」の扁額は、昭和15年の紀元2600年記念に、時の総理故近衛文麿公に揮毫して戴いたものです。