甲州信光寺の僧・鉄山策牛和尚が発願し、明和3年(1766年)に完成しました。塔は江戸期の青銅造りとしては異色のあるもので、鋳造技術は高く評価されています。春は桜、秋は秋明菊が五重塔に彩りを添えます。(県重要文化財)

- 完成年月日
明和3年(1766)5月15日 - 建立発願者
鐵山策牛和尚
甲州信光寺の僧、鐵山策牛和尚は、大徳寺にきて40年間も使えた。この間、浄財を集めて十六羅漢を作ったり常夜灯を設置したり、木魚などの法器を寄付させたりし、さらに五重塔の建立を発願し努力した。しかし、完成を見ることなく明和2年(1765)6月3日亡くなった。行年73才。塔の後に葬られた。 - 志を継ぐ
大徳寺14世、日相運明大和尚が事業を引き継ぎ明和3年5月完成、6月3日、鐵山和尚の一周忌に落慶供養式を挙げ、塔の後に鐵山和尚の供養塔を建てた。 - 五重塔の概略
全景の高さ 536.31センチメートル
青銅部分の高さ 354.51センチメートル
石の基座部分 167センチ四方・高さ180センチ
費用 二千切六百五拾五文(現在の額で約六千万円)
形態は荘厳優美、鋳造技術や建築意匠は抜群で、江戸中期の青銅造りとして異色があり、建築学上、貴重な塔といわれている。 - 制作者
仙台の鋳工師
高田定四郎慈延
早山彦重郎春次
早山八重郎一次 - 宮城県教育委員会
昭和32年1月16日重要文化財として指定 - 俳句に詠れる
「秀明菊うす紅色乃五重塔」省吾
(昭和28年8月6日、詩人白鳥省吾先生が来て詠まれた) - 句碑
平成2年5月25日 建立